幼稚園・小学校と絵
私が絵を描くことを好きになったっ気かけは「褒めてもらえる道具」としてだ。
絵を描けばお母さんが、幼稚園の先生が褒めてくれる。
パレットの絵具を全部綺麗に使ったら絵画教室の先生が褒めてくれる。
小学生になっても絵が好きだった。
クラスの誰もが絵と言えば私の名前を挙げてくれるようになった。
担任の先生が私の絵を評価してくれて何度も校長先生の元に自慢するためだけに連れて行ってくれた。
小学2年生の時に天狗になった私を気に入らなかった先生が図工の時間に私だけに厳しくして次のステップに進ませてくれなかったこともあった。
調子に乗った態度のデメリットを学んだ。
周りと自分の感覚の違いで引かれることが多く自分の気持ちを上手く表現できなかった小学生時代。
ただ、図工の時間だけは他人と違うことが評価された。
もっと自分を上手く表現したくて毎日毎日毎日絵の練習をした。
地域の小さなコンクールに毎回入賞か入選をしていた。
小さなコンクールなのに親が賞状を額縁に入れたり飾ったりしてくれて嬉しかった。
少し大きな規模のコンクールで銅賞になった時には新聞に名前が載った。
その新聞もこっそりスクラップしてくれていた。(たまたま見つけた時に泣いた笑)
小学校中学年の時に母方のおばあちゃんに電話で
「あなたが絵が上手なのはお母さんが絵が得意だからだね。お母さんに感謝しなね」
と言われた。
絵画教室に通わせてくれている親に感謝していないわけではなかったけれど自分の努力が否定された気がして落ち込んだ。
妹が「一緒に絵を描こう」と言ってくることがあった。
相手するのが怠かったけど何度も言ってくるので私が折れて一緒に鋼の錬金術師の絵を描いた。
妹は早速完成した絵を親に見せて「上手だね」って褒めてもらっていた。
私の方が妹よりも模写へのこだわりが強いから遅く描き終わる。早速自信満々に見せに行った。
「へ~」
って言われた。
明らかに妹への反応と違うしいつもだったら褒めてくれるのに。私の絵が下手だったのかな。
そのあともいろいろ模写したけど同じ反応だった。
数日後の眠れなかった日の夜。謎が解ける。いつも通り寝る努力をしていたらリビングから親の話し声が聞こえた。
「まのったらわざわざ妹と同じ絵描いて自分の方が上手いアピールしてくるんだよね。一切褒めなかった笑」
ショックだった。次の日親に笑顔を作るのが大変だった。
それ以降、妹に誘われても一緒に絵を描かなくなった。
あまりにも断り続けるから親に
「一緒に遊んであげなよ~」
と言われたけど
私の方が絵が完成するの遅くて真似して描いたと思われたくないから嫌だ
と伝えたら苦笑いされて終わった。
小学校の授業では一年に一回、自分の将来についてまとめる授業があった。
私は画家になりたかった。
けれど調べれば調べるほど非現実的なことに小学校中学年に気づく。
何か絵に関連する仕事として
イラストレーター・漫画家・デザイナー・美術の先生
色々調べたけど全てしっくりこなかった。
でも宿題を提出しないわけにはいかないので毎回「将来の夢は画家です」と書いた。調べるにつれて画家に成れない現実を見せられて絶望してたけど子供らしく振舞いたくてなるべく夢に前向きなフリをした。
他の職業に比べて「夢をかなえるためにやらないといけないこと」がないからまとめるのが楽で
まあいいか・・・
とも思ってた
中学校と絵
中学生になっても絵が好きだった。
美術に関しては先生の反応もクラスメイトの反応も小学生の時とあまり変わらずで気分がよかった。
自分の普通と世間とのズレも相変わらずで本心と違うキャラクターを作って周りに合わせるようにした。
中学3年生になると高校受験に向けて勉強を始めた。親にお願いして学習塾に入れてもらった。
定期テスト150位前後→50位以内 になるくらい猛勉強をして沢山親に褒められた。
勉強に力を入れるにあたって絵を描かなくなった。
本当は美術の勉強をしたかったけど美術を学んだ後にそれで食べていけるか考えたら自分には無理だと思った。
なのでとりあえず勉強をして自称進学校に入学した。
美術をあきらめたとはいえ第一志望の新設高校に入学できたのは嬉しかった。
高校と絵
高校生になっても絵が好きだった。
ただ高校受験期に絵を描く習慣を辞めてしまったからか毎日絵を描くことはできなくなった。
絵を描くと体力を使うし疲れてしまう。
自称進学校の勉強量に追われて絵を描く体力なんてほとんどなかった。
美術部に入部し、選択授業も美術にしたから強制的に絵に触れる時間を確保できてよかった。
ただ中学校までと違ったのが美術の時間であっても他人と違うことが認められないということ。
新しいのは校舎だけで校風は昭和だった。
みんな一緒でないといけなくて徴兵されたのかと思った。
高校が人生でイチバンつまらない自信ある。
中学生の時から女性の裸体が好きだった。
女性の肉付き!曲線美!最高!
よく女性の裸体を描いていた。
高校生という発達段階もあってかよく馬鹿にされた。
裸体を性的な目でしか見れなくて私を馬鹿にした美術部員が美大に入ってから女性の裸体を作品にしてて反吐が出た。
高校には油彩を教えられる先生がいなくて参考書を見て試行錯誤した。
美術部員も私以外みんなデザインで少し孤独だった。
油彩で人の肌を塗るときは最後に下地が透けることを想定して緑を塗ることが鉄板。
血管の色がそれっぽく表現できるからね。
そんなことを考えて下塗中をしていたら校長先生が美術部の様子を見に来た。
その日は部活が休みだったけどコンクールに向けて作品をすすめたくて私一人で活動していた。
校長先生は人体を緑で塗る私をみてかなりドン引きしていて頭の心配をされた。
今思えばちゃんと説明すればよかっただけの話だけど16歳の私は校長先生の対応にムカついて
美術がわからないならわからないなりに口を挟むな
とモヤモヤして終わった。
そんな部活動だったけど在学中に2回入賞した。
あまり好きではないデザインで。
大学進学を考える時期になった。
どうしても美術があきらめきれなくて地元の美術系学部への進学を決める。
勉強内容的には理系科目が好きだったけど大学が文系なので文系に進んだ。
入試にはデッサンがあるので親に頼んで小学生の頃まで通っていた絵画教室に通わせてもらった。
初めて趣味を越えた領域に入った。
今まで得意だと思ってた絵の領域でこてんぱんにお直しをされる。
全然楽しくなくてびっくりした。つらかった。
入試のデッサンは数学に変更可能だった。
最後までデッサン下手で自信がなさ過ぎて文系なら切り捨てられる数学の勉強を最後まで粘って勉強した。
結局デッサンで受験して頭悪い大学だから余裕で受かった。
大学と絵
大学生になってももちろん絵が好きだった。
もう絵は人生の一部。
今までは周りと違うと自分が損をするから自分を抑えないといけなかったけど
大学は自分らしくいることを許してくれた。
先生も友達も。
大学3年生になると始めは調節の方法がわからなかった自己主張の方法も模索していくうちに昔よりも言葉や態度で表せるようになった。
友達が増えた。
絵がなくても表現できるようになった代わりに絵の想像力が落ちた気がしたけどね。
卒業制作
題名「文章にできないから絵を描いているのになぜコンセプトを書かなくてはいけないのか」
キャプションにも最後までコンセプト書かずに提出した。
キャプション200字は書いた気がするけど全部読んでも理解できないと思う。
就活と並行して美術教員免許を取った。
教育実習を通して教師には全然絵を描く時間がないことを知って一般企業に入社した。
社会人と絵
上京して家が狭すぎたから絵具は使えなかったけどスマホ画面やタブレットで絵をかき続けた。
職場では絵具を使って大きな紙に絵を描かせてくれた。
絵を描いていないと自分に価値がなくなってしまう気がした。
もう絵がアイデンティティになっている。
今まで何度も絵から離れようとしても離れられない関係だった。
学生時代から絵を描くことは疲れるし辛いけど大好きだった。
絵を描くことが辛いのはデフォルトだから鬱病にもなかなか気づけなかった。
絵を描かなくてはいけない
という義務感に追われながら描き続けて
最後は診療内科の先生にストップされて終わった。
アートに憑かれて絵に疲れた
こんな長いブログ誰が読むんだって気持ちはあるけど自分のために書いておきたかった。
このままだと好きだったことを全て忘れてしまう気がしたから。
今でも絵は描けないまま。
描いても楽しくないし描き終わっても達成感すら感じない。
あんなに絵が好きだったのに不思議。
絵画だけでなく、イラストやデザイン、写真、クリエイティブ系もきつく感じる。
全部自分が一度はのめりこんで真剣に勉強したことなのに。
目からの情報が多すぎて頭が処理できないからなのかな~とか考えてる。
知らんけど。