新卒育ち鬱病生まれのまのです!
記憶書きなぐり録が始まるよ~
初めて知る事実
「お父さん、お母さんのこと大好きなんだよ。知ってた?」
突然ですがこれが誤解していたことの答えです。
お父さんが仕事でたまたま東京に来ていたから半年ぶりにあってお酒飲んだ。
結構酔っぱらっていたお父さんから聞いたはじめて知った事実。
私はお父さんとお母さんの仲は悪いと思っていました。
トラウマエピソード(小学生編)
初めて感じた両親のギスギス
小学校低学年。今から遊園地に行くワックワクの朝。
まだ寝てるお母さんの枕元に”離婚届”と印鑑が置かれていました。
ドラマでみたのか幼いながらに”別れ”を意味する紙とわかってました。
でも何かの間違いだしいたずら好きな両親だからなーーーー
「こんなのが置いてあったよ!これなに?」
すっとぼけてお父さんに聞いた。
「まのが大きくなってからかすぐかわからないけど別れるから。まのはお母さんとくらしな。」
めちゃくちゃ泣いた。
でもこれから遊園地で家族で楽しみたくてなかったことにしたくて頑張って笑った。
帰りにはみんなにこにこで私が頑張れば離婚は防げるかもしれないと思った。
包丁突き付け事件
小学生の頃、深夜に親が喧嘩をすることが頻繁にありました。
いつもは眠れなくて布団のなかでじっと嵐が去るのを待つのですがこの日は異常でした。お母さんが包丁を持ってお父さんの部屋に行くのが見えました。
怖かったけど「お父さんが殺される」という恐怖が強くて夫婦喧嘩に飛び出した。
「お父さんは殺されないよ」
ってお父さんが一旦落ち着かせてくれた。何か話がおわったらお母さんは家を出ていこうとした。
外の空気を吸いたかっただけかもしれなかったけど私はもう帰ってきてくれないかもしれないと思った。なんで喧嘩が起きたのかわからないけど私のせいだと思った。
「お手伝いちゃんとするから出ていかないで」って泣きながらお母さんに叫んだ気がする。
後日
「まのが食器洗ってくれたよ~」ってお父さんがお母さんに言う。
「ふーん」って返事がお母さんから返ってきてなぜか恥ずかしくなった記憶がある。
「自分が何とかしないと離婚してしまう」そう思って行動したことが何個かあったけど殆どが裏目にでてお母さんの機嫌を悪くさせた。
両親の深夜の飲酒タイムは私の愚痴も何個かあがっていた。布団の中で声を殺して泣きながら「次はもっといい子になろう」と耐えた。
でも”共通の敵を作ることが仲良くなる最短の行為”と知っていたから自分が敵になれば両親は仲良くなるのかなと思ってわざと私の愚痴を言うように誘導させたこともあった。ボロカスに言われすぎて心が保てなくなったからすぐやめたけど。
(朝は何事もなかったかのように笑顔を作るのが大変)
そんなある日の深夜
「まの何もしない。何も変わってない。」
とお母さんが言った。
「そう?あの日(包丁の日)以来すごく頑張ってるよ。」
お父さんが言ってくれて布団の中でたくさん泣いた。期待に応えられるよう頑張ろうと思ったよ。
おばあちゃん家生活
(幼稚園児か小学校低学年かわからない)
ある日お母さんが顔に怪我を負っていた。
「転んだ」と笑っていたけどすぐに嘘だとわかった。
同じ日にお父さんの部屋のドアに風穴があいていた。
「殴ったら穴開けれるかなと思ったら本当に開いちゃった」とお父さんも笑って話してたけど嘘だってバレバレだった。
妹は気づいていなかったけどお父さんとお母さんの様子がぎこちなかったからすぐに
喧嘩したんだな
とわかった。
しばらくおばあちゃん家での生活になった。
「なんでおばあちゃん家にとまるの?」「お父さんはこないの?」「お母さんの絆創膏の位置面白いね」
無知なフリをして過ごした。
10年後に向けた手紙
小学6年生の時に作ったタイムカプセルには
「今は両親がよくケンカをしていて辛いです。10年後は心から笑顔になれていますか」
みたいな内容の手紙をいれた。
全部喧嘩の内容を覚えているわけではないけどそれくらい悩んでいたのはよくわかる。
誰にも相談できない中、小学生の私は頑張ったね。
嫌われてるのは私説(中学生編)
中学3年生の時に15歳離れた弟ができた。
あれ?実は思ってたより両親って仲悪くないのかな…?
高校受験に向けて勉強をハチャメチャに頑張っていたから弟の世話になかなか手が回らなかった。
ハイハイで部屋に遊びに来てくれても「勉強したい」って追い返していた。
そんなことを繰り返したら窓から勉強机のモノすべて捨てられて
「もう帰ってくるな!」
と言われた。
後で全部戻してくれたけどおばあちゃんに買ってもらったガラスのヨットの置物は壊れちゃって戻ってこなかったな。
両親が不仲じゃなくて、私がいらない存在なのかな…だから喧嘩するのかな。私がいなければ喧嘩しないのかな。
と思うようになった。
高校が辛すぎて家族のこと気にできなかった(高校生編)
高校が嫌いだった話はまた機会があれば描きます!本当に嫌い!
高校時代は小学生の時ほど家庭のことで悩んでいなかった。
たまにお父さんが
「もう無理。別れるかも。お父さん頑張ったよな!」
と言葉をこぼしたり旅行先で「離婚する」と喧嘩したりするくらいのことしか記憶にない。
悲しかったけど「離婚」を理解しないとなって考え始めた。
一転の大学生編
マイホームが建った。
これはもう離婚はないかな…
ただたまに「離婚する」の言葉は聞いていたから、小さい弟もいるしマイホームも建てたし離婚はなくても結婚生活に疲れてるのかな
くらいに思っていた。
ここまで生きていてのまとめ
ここまで読んだあなたは「両親仲悪そう」。
そう感じませんか?私もずっとそう思ってきました。
親が冗談を言い合ったりいたずらをしたりして楽しそうにしてるのもよくみてきたけど幼いころのイメージが強烈だったのか、「仲いいのは表の顔」ってとらえ方でした。
だから飲みの席でお母さんのことを自慢げに幸せそうに話すのは衝撃的だった。
お父さんがお母さんのことをちゃんと好きなことを23歳で初めて知った。
ここで初めて今までの夫婦喧嘩は
『私が彼氏と喧嘩するのと同じテンション』
であることに気づいた。
幼いころのトラウマとやっと向き合えた気がした。
ただ、長年毎日泣くくらい悩んでいたから救われないなとも思う。
あんなにつらかったのにあんなに一人で頑張ったのにお前が何しようと親の仲とは関係なかったんだ。ただの他人の喧嘩に勝手な責任感じてそこに気力使って馬鹿だった。
私がいいこにしてないと両親が離婚してしまう。だから親に相談なんてできない。
これも勘違いした私が自分に勝手にかけた呪いだった。
他人に自分の話できないこと・他人の顔色に敏感なこと・自分が潰れるくらい責任感があること
生きにくい原因を作ったのは自分の勘違いからだったなんてやってやれないね。
心臓バクバクで逝く